2007年04月19日
連翹
2007年04月19日
1999年の北海道旅行第2弾
1999年8月13日の午前3時30分。
新日本海フェリーの「ニューあかしあ」は、
まだ明けやらぬ小樽港にゆっくりと入って行きました。
すでに乗客の大半は目を覚まし、
荷造りを終え、小樽港での下船に備えています。
デッキに出て周りを見てみると、暗闇の向こうに
小樽市の夜景が浮かび上がりいよいよ到着するのだと実感しました。
天気は快晴。車が船を出る頃には朝日が射し込み、
私たちの旅立ちを迎えてくれます。
家族で相談した結果、夕張へ向かうことになり、車を進めました。
途中長沼町のドライブインでインスタントの味噌汁とパンの朝食を取り
7時半頃にはJR夕張駅に着きました。
夕張線の終着駅ですが、炭坑が盛んな頃は
その先の鉱山まで線路が延びていたそうです。
駅前には場所にそぐわないほどの立派なホテルが建っていました。
次に向かったのが、
あの映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケの舞台となった所。
今は映画の展示館となっていて、
映画で倍賞千恵子がつるした黄色いハンカチの竿と共に、
映画の建物がそのまま残っています。
建物の中には映画で使用した車(ファミリア)や
写真パネルなどが展示されています。
また、壁や天井一面に黄色い紙が画鋲で止められていて、
訪れた人が思い思いのことを書き記しています。
しばし映画の感傷に浸りながらそこを後にしました。
鉄道マニアの長男の希望により、
夕張線の廃止になった鉱山までの貨物線の後をたどって行くと、
山の中から突然巨大な観覧車やジェットコースターが現れました。
廃坑になった夕張炭坑の後に、炭坑の博物館と遊園地ができていたのです。
せっかくだからよって行こうと言うことになり、
車を駐車場に止めました長男に言わせるとその駐車場が
昔の貨物線のターミナルの後だと言うことでした。
遊園地なんて行く気はしなかったのですが、
炭坑の博物館は見たかったので、そちらの方だけ行きました。
煉瓦造りの古い鉱口の後とか、
石炭層ががむき出しになった断層の跡とかが当時の鉱山をしのばせます。
館内は当時の炭坑での仕事で使用した道具や資料が展示されていて、
炭坑での過酷な労働が思い起こされます。
見学コースの最後は実際に残っている坑道の中をめぐる炭坑探検です。
エレベータで地下に降り、
ヘルメットとヘッドライトを付けて真っ暗な坑道に入って行きます。
小2の長女と3才の次男は怖がっていましたが、
結構冒険気分が味わえる楽しい施設でした。
階段を上って地上に出てみると、
博物館の建物とはかなり離れた場所に出てきて、
坑道がかなり長かったことがわかりました。
軽食コーナーで軽い食事をとり夕張を後にしました。
今度は妻の希望でせっかくここまで来たら
富良野に行ってみたいと言うことになり、富良野に向かいました。
計画も何も無い行き当たりばったりの旅です。
JR富良野駅に着いたのが午後4時頃。
そろそろ夕食の食糧調達と、泊まる所を確保しなければなりません。
富良野市街のスーパーで買い出しです。
ラルズマートという地元のスーパーに入って
カップ麺とかレトルトカレーとかスパゲティパンに牛乳、
ジュースなど大量に買い込みました。
1リットルの牛乳が2本で¥200とか、
タラバガニ(少し小ぶり)の冷凍が一杯¥1580で安売りしていたりで、
さすが北海道のスーパーだなと感心しました。
食糧も買い込み、事前にインターネットで調べておいた
中富良野の森林公園キャンプ場へ向かいました。
午後5時半頃にキャンプ場に着きましたが
すでにたくさんの人たちがテントを張っていました。
受付しようと案内所を探していると管理人らしき人が現れて、
聞いてみるとなんと町営の施設のため使用料はタダ!
ノートに住所と氏名を書き込むだけで良いとのこと。
さすが北海道のキャンプ場は太っ腹です。
タダのキャンプ場といっても施設は立派なもので、
トイレは水洗だし、ペーパーも十分にあるし、炊事場も立派なものがあるし、
近くにはフィールドアスレチックや、公園があって、テニスコートもあります。
少し歩けば展望台があってそこから十勝連峰や、富良野市街が一望できます。
テニスコートの利用案内を見てまたびっくり。管理棟に届ければ使用料は無料!
おまけにラケットやボールまで無料で貸し出してくれると言うではありませんか!
こんなキャンプ場初めてです。感動しました。
気に入ってしまったので、2泊することにして、
明日は富良野近辺を回ることにしてレトルトカレーの夕食を済ませて
北海道の第一夜を迎えました。
今回はここまで。次回は富良野観光と美瑛町です。
つづく
新日本海フェリーの「ニューあかしあ」は、
まだ明けやらぬ小樽港にゆっくりと入って行きました。
すでに乗客の大半は目を覚まし、
荷造りを終え、小樽港での下船に備えています。
デッキに出て周りを見てみると、暗闇の向こうに
小樽市の夜景が浮かび上がりいよいよ到着するのだと実感しました。
天気は快晴。車が船を出る頃には朝日が射し込み、
私たちの旅立ちを迎えてくれます。
家族で相談した結果、夕張へ向かうことになり、車を進めました。
途中長沼町のドライブインでインスタントの味噌汁とパンの朝食を取り
7時半頃にはJR夕張駅に着きました。
夕張線の終着駅ですが、炭坑が盛んな頃は
その先の鉱山まで線路が延びていたそうです。
駅前には場所にそぐわないほどの立派なホテルが建っていました。
次に向かったのが、
あの映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケの舞台となった所。
今は映画の展示館となっていて、
映画で倍賞千恵子がつるした黄色いハンカチの竿と共に、
映画の建物がそのまま残っています。
建物の中には映画で使用した車(ファミリア)や
写真パネルなどが展示されています。
また、壁や天井一面に黄色い紙が画鋲で止められていて、
訪れた人が思い思いのことを書き記しています。
しばし映画の感傷に浸りながらそこを後にしました。
鉄道マニアの長男の希望により、
夕張線の廃止になった鉱山までの貨物線の後をたどって行くと、
山の中から突然巨大な観覧車やジェットコースターが現れました。
廃坑になった夕張炭坑の後に、炭坑の博物館と遊園地ができていたのです。
せっかくだからよって行こうと言うことになり、
車を駐車場に止めました長男に言わせるとその駐車場が
昔の貨物線のターミナルの後だと言うことでした。
遊園地なんて行く気はしなかったのですが、
炭坑の博物館は見たかったので、そちらの方だけ行きました。
煉瓦造りの古い鉱口の後とか、
石炭層ががむき出しになった断層の跡とかが当時の鉱山をしのばせます。
館内は当時の炭坑での仕事で使用した道具や資料が展示されていて、
炭坑での過酷な労働が思い起こされます。
見学コースの最後は実際に残っている坑道の中をめぐる炭坑探検です。
エレベータで地下に降り、
ヘルメットとヘッドライトを付けて真っ暗な坑道に入って行きます。
小2の長女と3才の次男は怖がっていましたが、
結構冒険気分が味わえる楽しい施設でした。
階段を上って地上に出てみると、
博物館の建物とはかなり離れた場所に出てきて、
坑道がかなり長かったことがわかりました。
軽食コーナーで軽い食事をとり夕張を後にしました。
今度は妻の希望でせっかくここまで来たら
富良野に行ってみたいと言うことになり、富良野に向かいました。
計画も何も無い行き当たりばったりの旅です。
JR富良野駅に着いたのが午後4時頃。
そろそろ夕食の食糧調達と、泊まる所を確保しなければなりません。
富良野市街のスーパーで買い出しです。
ラルズマートという地元のスーパーに入って
カップ麺とかレトルトカレーとかスパゲティパンに牛乳、
ジュースなど大量に買い込みました。
1リットルの牛乳が2本で¥200とか、
タラバガニ(少し小ぶり)の冷凍が一杯¥1580で安売りしていたりで、
さすが北海道のスーパーだなと感心しました。
食糧も買い込み、事前にインターネットで調べておいた
中富良野の森林公園キャンプ場へ向かいました。
午後5時半頃にキャンプ場に着きましたが
すでにたくさんの人たちがテントを張っていました。
受付しようと案内所を探していると管理人らしき人が現れて、
聞いてみるとなんと町営の施設のため使用料はタダ!
ノートに住所と氏名を書き込むだけで良いとのこと。
さすが北海道のキャンプ場は太っ腹です。
タダのキャンプ場といっても施設は立派なもので、
トイレは水洗だし、ペーパーも十分にあるし、炊事場も立派なものがあるし、
近くにはフィールドアスレチックや、公園があって、テニスコートもあります。
少し歩けば展望台があってそこから十勝連峰や、富良野市街が一望できます。
テニスコートの利用案内を見てまたびっくり。管理棟に届ければ使用料は無料!
おまけにラケットやボールまで無料で貸し出してくれると言うではありませんか!
こんなキャンプ場初めてです。感動しました。
気に入ってしまったので、2泊することにして、
明日は富良野近辺を回ることにしてレトルトカレーの夕食を済ませて
北海道の第一夜を迎えました。
今回はここまで。次回は富良野観光と美瑛町です。
つづく