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気ままにテニスsince2006/5/18 テニススクールの気のあった仲間と、月1回ペースでダブルスゲーム中心にテニスしています。テニススクールでの出来事や、それ以外でのテニスの様子をブログにしていきたいです。コメントは承認制ですので反映には時間がかかります。

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1999年の北海道旅行記第10弾(最終回)

前回のクイズの正解わかりましたか?愛国駅と幸福駅の間の駅名は大正です。
別に何でもない駅ですが・・・。

8月19日の4時ごろ小樽市内に入りました。今回の旅行は札幌は通過です。
JR小樽駅に行く前に手前にある銭函駅によりました。
ここの入場券もお金がたまるとかで有名なんだそうです。1枚買いました。

小樽では今日中にどうしても行かなければならない場所があります。それは
小樽交通記念館です。廃止になったJR手宮線の手宮駅の跡地
にできた鉄道博物館です。前にNHKのテレビで紹介していたのを長男が見て、
北海道に行ったらぜひ行ってみたいといっていた場所です。閉園1時間前に滑り
込み駐車料金を只に、入場料を半額におまけしてもらって急いで見て周りました

さすがに長男が行きたかっただけのことはあって、かなり広い敷地に静態保存
された車両がたくさん展示してありました。そのうちの多くが車内まで開放し
ていました。早い時間に来れば動体保存された車両に乗ることが出来るイベント
もあったようです。建物の中には長男が欲しがりそうな模型や線路のジオラマ
がたくさん展示してありました。閉園の放送に押されるように、名残を惜しみ
ながら交通博物館を出ました。

さて今夜の宿はまだ決まっていません。当然キャンプです。JR小樽駅の観光
センターによって情報を仕入れ、小樽自然の村キャンプ場に向かいました。
小樽市を見下ろす天狗山の中腹にあるこのキャンプ場は入場料大人¥200
小中学生¥100持ち込みテント¥500の格安のキャンプ場です。
オートキャンプ場ではないため駐車場からテントサイトまでリヤカーで荷物を
運ばなければならないのが難点ですが、子供たちはリヤカーが珍しいらしく
おもしろがって荷物を運びました。ここでの楽しみはキタキツネです。
テントを張っていると何やら犬のような気配がするので見てみると、ほんの
10mぐらい離れた所にキタキツネがいるではありませんか。
子供たちは大喜びでキタキツネを追いかけまわします。キツネは子供たちと鬼ご
っこでもしているように逃げてはまた戻ってきます。ただ野生なので餌を与える
のは禁止です。

8月20日の朝、いよいよ北海道を離れる時がきました。朝キャンプ場から
500mほど離れた展望台から小樽港を見下ろすと、午前10時30分発の舞鶴
行きのフェリーが港に停泊していました。舞鶴から今朝到着した「らべんだあ」
です。あれに乗って帰るんだと思うと、もう少し北海道にいたいなあと未練が
残ります。

長い様で短かった北海道の旅。パック旅行では味わえない気ままな旅が満喫で
きました。今回の旅で思いがけない発見は、フェリーの船旅の楽しさを知った
ことと、北海道はキャンプ天国だということでした。来年も機会があればぜひ
行きたいと思いました。今度は太平洋フェリーで南回りで行ってみようかな。

これで北海道旅行記はおしまいです。最後まで付き合ってくれてありがとう。

おわり
北海道 | 投稿者 管理人h 03:46 | コメント(0)| トラックバック(0)

1999年の北海道旅行記第9弾

1999年8月19日の朝は帯広市内の公園の駐車場で迎えました。
車の中で5人が寝たわけですから熟睡は出来ませんでした。

早く目が覚めたので公園を散歩しました。
朝早いのに地元の人たちが散歩やジョギングに来ていて挨拶してくれます。
散歩してみるととても広い公園で
芝生の広場だけでも普通のグランドの5倍ぐらいあります。

そこにあったベンチがおもしろくて座席がずーとつながっているんです。
全長500mくらいはあるでしょうか。公園の案内板を見ると、
世界一長いベンチとしてギネスブックに載っているそうです。
その他にも池やハイキングコースもあって
市内にいるとは思えないほどの広い公園です。

みんな目を覚ましたので早速JR帯広駅に行ってみました。
JR帯広駅はまだ新しくてとても立派な駅でした。
ただ早朝のためか建物の中にはカギがかかっていて入れませんでした。
また駅の北側は地下駐車場建設のため工事中でした。
完成したらさらに立派な駅になるでしょう。

帯広市は今回訪れた都市の中では最も大きな都市で、
ケンタッキーやマクドナルドがあって名古屋にいるのと変わりません、
市内を抜けるとき朝の交通ラッシュに重なったらしくて、
北海道に来て始めて渋滞にはまりました。何か渋滞が久しぶりです。
渋滞を抜けて今日の目的地である幸福町へ向かいました。

幸福町は「愛の国から幸福へ」の切符で有名になった広尾線の駅のある町です。
広尾線は今はもう廃止になって駅舎だけが観光用に残っています。
始めに愛国駅へ行きました。ホームにはSLが止まっています。
愛国駅は今でも列車が走っているかのように建っていました。
しかし線路はどちらも途中で途切れています。
長男が線路の上を走っていきます。
記念撮影をして今度は幸福駅に向かいました。
愛国駅から2つ目の駅です。ここで長男からクイズが出ました。
愛国駅と幸福駅の間にある駅は?・・・わかりません。
答えは次回の旅行記で・・・。

幸福駅の方は愛国駅より観光客が多く訪れているようで、
駅舎は小さかったですが駐車場は広くて、残っている線路も長くて、
ホームにはキハなんとかという列車が3両編成で、
2編成止まっていました。お土産やさんも3軒あって、
その家の1軒は朝7時半だというのにもう開いていて、
店のおじちゃんが掃除をしていました。
駅舎の前で記念撮影をして、
お土産やさんで幸福駅の切符を買いました(¥220)。
そこのおじちゃんは話好きらしくて、今年の北海道は異常に暑いとか、
最近はここを訪れるお客さんも減って特に若いカップルが少なくなった
といってぼやいていました。
最盛期の頃は駐車場にツーリングのバイクが
50台は並んだもんだといっていました。
今の若い者はいちゃいちゃすることは知っていても
その先の夢やロマンが無いといって文句を言っていました。
私が相づちを打っていて、頃合いを見計らってその場を離れると
今度は嫁さんに向かってまた同じ事を話していました。
きっと来る人来る人にああして話をしているんでしょうね。
いいおじさんなんですがね。

今日中に小樽まで行かなければいけないので、幸福駅を後にしました。
途中あのスキーで有名なトマムを通りました。
山の中から突然2棟の高層ホテルが現れました。

アルファトマムリゾートです。
せっかく来たのだからホテルの近くまで行こうということになり、
ホテルの前にあるゴルフ場のクラブハウスでトイレに入ってきました。
JRトマム駅にも行きましたが無人駅でした。

日高町まで来た所で道の駅があったので、昼食も兼ねて休憩しました。
日高町は山の町で登山に訪れる人も多いらしくて、
山脈記念館というのが建っていました。有料だったので入りませんでしたが、
道の駅にある町報を見ると開館記念のときには、
あのNHKの「中高年の登山」でテレビに出ていた岩崎元郎さんが
ペンケヌーシ岳に登っている写真が載っていました。
後は小樽を目指すだけです。

今回はここまで。次回は旅の終点小樽です。 つづく
北海道 | 投稿者 管理人h 03:41 | コメント(0)| トラックバック(0)

1999年の北海道旅行記第8弾

連休で中断していた北海道旅行記再開します。
前回第7弾は網走でしたが今回は知床です(^O^)/
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─

1999年8月18日の朝、網走のオートキャンプ場「てんとらんど」
から見たオホーツク海から出る日の出はとてもきれいでした。

といってのんびりしている訳にはいきません。
20日の午前10時小樽発のフェリーに乗るためには
19日の夜には小樽に着いていなければならないからです。
網走市内の観光はあきらめて知床方面にに向かいました。

斜里町まで来た所で意見が分かれました。
長男は国道334号を走って、知床峠を越え、
羅臼町へ行くのがいいというし、
嫁さんは知床半島をショートカットして
国道244号で標津町へ行った方が道もなだらかだし、
早く周れるというのです。
走りながら言い合いをしていましたが、
結局長男の言うコースを行く事にしました。

今回の旅行で、北海道の地理に一番詳しいのは結局長男でした。
普段から鉄道の廃止線の本とかを読みあさり、
私の全然知らないような地名を知っていたりして、
ほとんど長男の言う通りのコースを取ってきました。

今度の選択も長男の言うことが正解でした。
しばらく行くとオシンコシンの滝というのがあって、
何でも知床八景の一つで有名な観光スポットらしくて、
次々と観光バスがやってきます。車を止めていってみると、
海沿いの国道から切り立った崖の上から、
かなりの水量で滝がそびえています。

普通滝を見ようと思うと、
ある程度険しい道を入っていかなければ行けませんが、
ここの滝は道路から階段を登ってすぐの所に、海に面してあるのです。

観光スポットになるのもうなずけます。
滝のふもとでカップラーメンの遅い朝食を取り、知床峠に向かいました。

だんだん山道になってくると、前方に雄大な山が見えてきました。
羅臼岳です。車を進めるとどんどん山に近づいていきます。
思ったほど急な山道ではなく、程なく峠の駐車場に着きました。

展望台があってそこからはあの北方領土がすぐそばに見えます。
国後島とは23kmぐらいしか離れていないそうです。
民家らしきものも見えて、
あれがロシアの領土かと思うと不思議な感じがしました。

今日中に帯広あたりまで行っていないと後が苦しいので先を急ぎました。

羅臼町をぬけ海沿いの国道335号を根室方面に走っていると、
突然長男が騒ぎ出しました。海の向こうに蜃気楼が見えるというのです。
車を止めて見てみると
確かに水平線の上にどこかの建物らしきものがぽっかりと浮かんで見えます。
その周りには島や半島といった陸地らしきものは見当たりません。
これが蜃気楼かと感心しながらビデオに撮りました。

夕方頃に釧路に着きました。
食糧の買い出しにスーパーによりました。
ゆでたカニの足が安かったので白ワインと一緒に買いました。
なんかついつい買い物を余分にしてしまい、
安く上げるつもりが高くついてしまいます。
外食するよりはずっと安いんですが。

本当なら釧路でキャンプするんですが、
先を急ぐのでこれから帯広まで行くことにしました。
夜7時ごろ国道38号線沿いの道の駅で、
スーパーで買ったお弁当を食べて、また走りました。

帯広に着いたのは夜9時を過ぎていました。
子供たちは車の中で寝てしまい、テントを張る元気も無かったので、
公園の駐車場で車中泊となりました。
北海道に来て一番過酷な夜となりました。

今回はここまで。次回は愛国駅から幸福駅です。 つづく
北海道 | 投稿者 管理人h 06:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

1999年の北海道旅行記第7弾

1999年8月17日の夕方網走に着きました。
網走に来たらやっぱり刑務所でしょう。

早速探しましたが、看板にしたがっていくと
そこは本物の刑務所ではなくて網走監獄博物館でした。
入館料を見ると大人¥1000と高く、
時間も遅かったので、門の外から写真を撮るだけにしました。

嫁さんは本物の刑務所の方に行きたかったみたいです。
犯罪を犯せばいつでもいけるよと、
おもしろくも無い冗談を言いながら監獄博物館を後にしました。

今夜のキャンプ場は北海道に来て初めてのオートキャンプ場、
道立オホーツク公園オートキャンプ場「てんとらんど」です。
行ってみると平成6年に出来たまだ新しいキャンプ場で、
キャンプサイトからは網走市街はもちろん遥かオホーツク海の
向こうには知床連山まで見渡せる眺めのいい所でした。

値段もそれほど高くなく、フリーテントサイトで車1台と
家族5人で1泊¥3520でした。

紀伊長島の孫太郎は本州では5つ星のキャンプ場ですが
そこの施設よりも、てんとらんどの方が良くてしかも安い。
またまたキャンプ天国の実力を思い知らされました。

キャンプ場内にはマウンテンバイクが無料で貸し出しされたり、
卓球場(これも申し込むだけで無料)があったり、
夜になると専用の野外シアターでディズニーの映画を上映したりと
至れり尽くせりです。

夕食はこれも、北海道に来てから初めてのジンギスカンの焼き肉です。
北海道のスーパーには、簡易ジングスカンなべというのを売っていて、
それをつかっての焼き肉です。
ワインを飲みながらのちょっとリッチな夕食でした。

今回はここまで。次回は知床です。 つづく
北海道 | 投稿者 管理人h 02:21 | コメント(0)| トラックバック(0)

1999年の北海道旅行記第6弾

1999年8月17日の朝は強風で目が覚めました。
海に近いせいか、明け方から山から海に向かって風が吹き始め、
朝になっても強い風が吹いています。

いつもは起こすまで寝ている長女が珍しく早く起きてきました。
風が強いので車に戻って二人でカーラジオを聞いていました。

明るくなってきたので散歩でもしようかということになり、
キャンプ場から続いている道を山頂まで行ってみることにしました。

山頂まで800mと看板があったので、
朝の散歩にはちょうどいいかなと思ったのですが、
行けども行けども山頂は見えずやっと見つけた看板には山頂まで500m。
こんなにがんばったのに300mしか来ていないとは。
山道を馬鹿にしてはいけません。

それでもせっかく上ってきたのだからと山頂を目指しました。
やっとのことで山頂に着くと、
風はさらに強くなり山の向こうから雲がどんどんぶつかってきます。
稚内港が一望できて見晴らしは最高でしたが
今にも雨が降り出してきそうな雲行きになってきたので、
いそいでテントに戻り、撤収作業に取り掛かりました。

朝食も取らずにキャンプ場を後にして、
稚内でも最北のノシャップ岬に向かいました。
野寒布岬と書いてノシャップと読むのですね。
ずっとノサップと読むのだと思っていました。
岬の所にはちょっとした公園があって
最北の岬らしく海から強い風が吹いていました。
カモメが飛び交い、はるかロシアを望むノシャップ岬で
最北端に来たのだとしばし感慨に浸りました。

再びJR稚内駅に戻り駅裏の駐車場で
パンとインスタント味噌汁で朝食を摂りました。
みると駅裏に観光客相手の市場があって、
カニとかメロンを売っていたので、
バスの団体さんに混じって入ってみることにしました。

入るといきなりカニの足の試食があり、2,3切れ頂きました。
おいしかった。メロンの試食もあり朝食後の豪華なデザートになりました。
試食だけして買わないのも悪いので会社と家にお土産を買いました。
そして今日の最終目的地網走に向かって、
北海道の東海岸を走る国道238号線に入りました。

しばらく走ると宗谷岬に着きました。
ここも公園があって三角に尖った日本最北端の碑が立っていました。
地図で見るとノシャップ岬より宗谷岬の方が確かに北にあります。
記念撮影を済ませて出発しました。
238号線はオホーツク海に面して続く国道で、
走りやすくて眺めのいい道です。


お昼近くなってきたので昼食と食糧買い出しのため
雄武町の道の駅に寄りました。
長男に言わせるとここは廃止になった鉄道の駅の後だということでした。

スーパーがあったので入り、
ラーメン屋があったので北海道に来て始めて外食しました。
醤油ラーメン1杯¥500と安かったですが
味はあのサッポロラーメンと同じでとてもおいしかったです。
長男だけは味噌ラーメン(¥600)を注文していましたが、
こちらも味見したら味噌にこくがあっておいしい。

買い物を済ませて駐車場に戻ると、駐車場の片隅になにか記念碑があります。
近くで見てみると線路を使って造った雄武駅の記念碑で
長男の言う通り確かに駅があったことがわかりました。
ただ気付く人は誰もいなくてひっそりとたたずむその記念碑は
何故かさみしそうでした。

今回はここまで。次回は網走です。 つづく
北海道 | 投稿者 管理人h 06:57 | コメント(0)| トラックバック(0)

1999年の北海道旅行記第5弾

1999年8月15日夜8時50分。
受付時間ぎりぎりに朱鞠内湖(しゅまりない)キャンプ場に着きました。

受付にはおひげのお兄さんが眠たそうにしていました。
まだ大丈夫ですか?と聞くと、いいですよと快く答えてくれた。
大人¥500子供¥250幼児無料の計¥1500で、
キャンプ出来ることになりました。北海道はキャンプ場が安い!

とりあえずあいている所にテントを張って、
スパゲティとさっき幌加内町(ほろかない)で買った生そばで
遅い夕食を済ませました。
下の二人の子供は夕食も食べずに寝てしまいました。

1999年8月16日の朝、昨日は暗くてわからなかったのですが、
朝になってみてみるとテントを張ったキャンプ場は
朱鞠内湖に突き出した半島のほとりにあり、
周りは朱鞠内湖の美しい湖面が広がっています。

朝日が湖面の向こう岸から昇ってきて幻想的な風景でした。
こんなすばらしい所で、車がテントのそばまで乗り入れできて
(実質的にオートキャンプ場と同じ)家族5人で¥1500は
あまりにも安すぎる!北海道はキャンプ天国だ!

パンと牛乳の軽い朝食を済ませると、せっかく朱鞠内湖
(しゅまりないと呼びます・・・最初私は読めませんでした)
に来たのだから、このまま行くのも何なので遊覧船に乗ることにしました。
遊覧船は大人¥800子供¥400と割高だったので、
私と子供3人で乗りました。

定員20人くらいの小さな船で朱鞠内湖をぐるっと1周するのですが、
途中浮島などがあって結構いい景色でした。
20分ぐらいで戻ってきました。

朱鞠内湖は川を堰きとめて造った貯水用の人工湖ですが、
入り江が入り込んでいておもしろい形をしています。
つり名人もたくさん訪れて竿をたらしていました。

朱鞠内湖を後にして、稚内に向かいました。
1999年8月15日の夕方、ついに最北端のまち稚内に着きました。
北海道に来て気ままな旅をしていて覚えたことは、まちに着いたら、
まず駅に行って観光案内所に寄ること。
そこには、本や雑誌に載っていない地元の生の情報があります。
稚内でもまずJR稚内駅に行きました。

駅裏に車を止めたら、稚内駅の構内が素通しで、
終着駅の線路の終わりの部分に車両止めがしてありました。
そしてその上に最北端の駅の看板が・・・早速記念撮影しました。

駅構内に入ると、立ち食いそば屋があって掛けそば¥270に
思わず注文してしまいました。だしが聞いたつゆでおいしかった。
すぐ後から来たおじさんが注文したらもう今日は終わりましたとのこと
最後の一杯だったんですね。
おじさんはうらやましそうに私の方を見ながら去って行きました。

駅前のスーパーで買い出しを済ませた後、
今日のキャンプ地稚内森林公園へ向かいました、
稚内港を見下ろす小高い山の中腹にある森林公園は、
市営キャンプ場らしくて、またまた無料。

テントサイトからは稚内市内が一望できて最高の眺め。
蚊が多くて少し閉口しましたが、
それ以外は文句の付けようがないキャンプ場です。
さすがに人も多く、夜8時を過ぎても車やバイクがどんどん上ってきて、
駐車場は満車状態。最北端のまちでの一夜がふけていきました。

今回はここまで。次回はノシャップ岬と宗谷岬です。 つづく
北海道 | 投稿者 管理人h 05:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

1999年の北海道旅行記第4弾

1999年8月15日になりました。
2泊した中富良野北星山キャンプ場ともお別れです。

ちょうど北海道の真ん中あたりなので、
北上するか南下するか迷いましたが、天気予報を聴くと、
南の方が悪いみたいなので北へ向かうことにしました。

とりあえずまた美瑛町に向かい、昨日日没で見れなかった、
セブンスターの木を見に行きました。途中美馬牛駅にもよりました。

美馬牛駅はJR富良野線の美瑛駅の一つ手前のなんということの無い
無人駅ですが、鉄道マニアの長男にとっては、おもしろいらしく
ホームに入ったり、駅舎を見たりして盛んに写真を撮っていました。

JR富良野線には、夏の間イベント列車として「ノロッコ号」
というトロッコ列車が走っていましたが、これもしっかり撮影しました。
また美馬牛小学校にも行きましたが、
小学校とはおもえないほどきれいな校舎で校庭も広くてなんと小高い山があって、

冬は校庭がミニスキー場になるようです。
うらやましい。

寄り道しながらセブンスターの木にたどり着きました。
観光スポットらしくて近くの駐車場は車がいっぱい。

木の周りにも人がうじゃうじゃいて、遠くから写真を撮っただけで
早々に引き上げました。その近くにある北西の丘展望公園に行き、
たこ焼やかき氷を食べながら、美瑛町の風景を楽しみました。

今年の北海道は異常に暑くて、この日も日陰は涼しいのですが、
日が当たる所ではじりじりと太陽が照りつけて、真夏の暑さです。
北海道は涼しいと思っていたのに当てが外れました。
景色のいい所なのでゆっくりしたかったのですが、
他の行きたい所へいけなくなってしまうので
美瑛町を後にして旭川に向かいました。

旭川駅を目指して行ったのに、
何故が一つ手前の東旭川駅に着いてしまいました。

持って行ったPHSがやっと通話エリアに入ったので、
妻の実家に連絡を入れました。心配していたらしく、
神奈川県の方でキャンプをしていた人が雨で増水した川に飲み込まれて
遭難しているニュース等を見て、キャンプをしていて大丈夫なのかと、
しきりに聞かれました。北海道は天気も良くて、河原のようなところでは
キャンプしていないし、みんな元気だよと言って、
ようやく納得してもらいました。PHSは便利ですね。
PHSのため、エリア外のことが多いので「あまり電話してもつながらないよ」
といって、電話を切りました。

国道40号を北上して、士別方面へ向かおうと考えていたら、
長男が幌加内町を通って行こうと言い出しました。
どうやら古い廃止線の跡があるらしいのです。
長男にいわれるままに、幌加内町に向かいましたが
観光スポットからは外れているらしく、
昼間というのに車の往来が地元の人ばかりで、あまりありません。

熊でも出てきそうな山道を、幌加内町に向かいました。
1時間ほど走ると道の駅「森と湖の里幌加内」の看板が見えたので、
ほっとしてそこへ入りました。

車を降りると長男が走り出しました。
少し戻った所に廃止線の鉄橋が残っているのを見つけて、
その写真を撮りに行ったのです。

しかたなく長男に付き合って鉄橋まで行ってみることにしました。
廃止線になってまだ日が浅いらしくて、
その鉄橋はまだ緑色のペンキもきれいに山の谷間にたたずんでいました。

今にも列車がやってきそうな気がします。
しかしそばに行ってみるとすでに線路は取り外されて、
鉄橋の鉄骨だけがさみしそうに残っていました。
まだ十分使えるんだぞって言っているみたいです。

道の駅に戻ると、その隣に幌加内町民保養センター
「せいわ温泉ルオント」の看板が目に入りました。
そう言えばフェリーでお風呂に入って以来、
北海道に来てまだお風呂に入っていないことに気付き、
温泉に入ることにしました。

大人¥500、子供¥250で露天風呂もある立派な温泉に入れました。
3日ぶりのお風呂はとても気持ちが良く生き返った気分です。
無料の休憩室もあってそばが有名らしくて、
温泉につかった後そばを注文して食べている人がいました。

ほとんど地元のお客さんばかりでしたが、
キャンピングカーで来ている人もいました。
温泉でゆっくりしていたため、
今日中に稚内にたどり着くことが出来なくなり、
急きょキャンプ場を探した所、
ここから20kmぐらい行った所に朱鞠内湖という湖があって、
そこにキャンプ場があるというので。
そこへ行く事にしました。


今回はここまで。次回は朱鞠内湖です。 つづく
北海道 | 投稿者 管理人h 05:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

1999年の北海道旅行第3弾

1999年8月14日の朝は中富良野の森林公園キャンプ場で迎えました。
今日はここでもう一日滞在して富良野近辺をゆっくり観るつもりです。

手始めに向かったのはキャンプ場のある北星山の麓にある、
中富良野町営ラベンダー園です。冬はスキー場になるらしく、
リフトが山頂まで行っています。山の斜面は一面のラベンダー畑。

しかし花の最盛期は終わっていてすでに花は枯れています
満開の頃はさぞ絶景だろうな。

観光用でリフトを運行していたので、さっそく山頂まで行ってみました。

北星山は500mくらいの小高い丘のような山ですが
山頂の展望台に行って辺りを見回してみると、
そこには北海道の雄大な景色が広がっていました。

見渡す限りの牧草地の向こうには遥か十勝岳連峰が広がっています。
まさにこれが私が北海道に抱いていたイメージそのものの風景です。
早速写真を撮りまくりました。

さて、リフトで降りようとしていたら、「喫茶十年館はあちら」
という気になる看板が目に入りました。

何やら曰くありげなお店のようです。
長男がコーヒーをおごってくれるというので、みんなで行くことにしました。

歩くこと数百メートル木立の中に丸太作りの喫茶店「十年館」がありました。
手造りと思われる立派な造りのドアを開けて入って行くと、
玄関にスリッパが置いてあります。
まるで普通の家の様にお客さんを迎えてくれます。
中は落ち着いた雰囲気のテーブル席が2ヶ所と座敷の席が1ヵ所。
それにドアを開けた外にテラス席が1ヵ所あり
どの席からも先ほど展望台から見た富良野の景色が見ることができます。

そこかしこに手造りの調度品が置いてあって、
すべて店のご主人の手によるものだそうです。

何でも1986年から1996年の十年間で
ご主人自らたった一人でこの建物と家具や調度品を作ったので
「十年館」という名前を店に付けたそうです。

お客さんが記した雑記帳を見てみると、結構有名な店らしく、
旅行雑誌を見て訪れた人もかなりいるようです。
芸能人の工藤静香も来たらしく、店のご主人と写真に写っていました。

落ち着ける雰囲気だったのでゆっくりしていたら、
ご主人がいやな顔をするどころかもういっぱいコーヒーをどうぞと
お代わりを持ってきてくれたのには感激しました。

もちろん一杯一杯豆を碾いて入れるやつをですよ。
いい気持ちになって山を下り下で昼食をとりました。

次はワイン工場に行くことにしました。
見学も早々になんといっても主目的はワインの試飲です。
この日は赤と、ロゼが各1種類と、白が2種類の
計4種類のワインが試飲できました。

試飲用のグラスに、ワインの樽から蛇口で各自が注ぐだけで
係りの人などいないので、何杯でもお代わり自由です。

さすがに車で行っているので、各種類とも2杯づつで止めておきました。
名前は忘れましたがどれもおいしかったです。
家へのお土産に赤、白、ロゼの3本セットの詰め合わせを買いました。

もう午後3時を回っていましたが、
今日はテント設営の手間が無いのでお隣の美瑛町まで足を伸ばすことにしました。
車を40分くらい旭川方面へ走らせるとJR美瑛駅前です。

お決まりの駅前での記念撮影の後、
すぐ傍にある町営の観光センターに行きました。
かなり立派な建物で、
一階は美瑛町の特産品や観光の見所の紹介コーナーがあって、
2階にはハイビジョンシアターがあって30分おきに
美瑛町の四季の自然の風景を映像で見ることができます。
それを見ていると、美瑛町は丘のまちとして有名で、
いたるところにカレンダーかポスターになりそうな
(実際になっている)風景が見られるまちで、
マイルドセブンの丘とかセブンスターの木とか、

ケンとメリーの木(いずれも広告用のポスターが撮影された場所)

とかがあるということだった。

早速行ってみようということになり
日も暮れかけたマイルドセブンの丘に行きました。
確かにどこかで見たような木立のある丘があって
数組の観光客が写真を撮っていました。

こんなに見所があるのなら、
ワイン工場でゆっくりしていなくてもっと早く来れば良かったと思いながら、
暮れかけた美瑛町を後にして中富良野のキャンプ場に戻りました。

今回はここまで。次回は美瑛町の続きと幌加内町です。
北海道 | 投稿者 管理人h 21:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

1999年の北海道旅行第2弾

1999年8月13日の午前3時30分。

新日本海フェリーの「ニューあかしあ」は、
まだ明けやらぬ小樽港にゆっくりと入って行きました。

すでに乗客の大半は目を覚まし、
荷造りを終え、小樽港での下船に備えています。

デッキに出て周りを見てみると、暗闇の向こうに
小樽市の夜景が浮かび上がりいよいよ到着するのだと実感しました。

天気は快晴。車が船を出る頃には朝日が射し込み、
私たちの旅立ちを迎えてくれます。

家族で相談した結果、夕張へ向かうことになり、車を進めました。
途中長沼町のドライブインでインスタントの味噌汁とパンの朝食を取り
7時半頃にはJR夕張駅に着きました。

夕張線の終着駅ですが、炭坑が盛んな頃は
その先の鉱山まで線路が延びていたそうです。
駅前には場所にそぐわないほどの立派なホテルが建っていました。

次に向かったのが、
あの映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケの舞台となった所。
今は映画の展示館となっていて、
映画で倍賞千恵子がつるした黄色いハンカチの竿と共に、
映画の建物がそのまま残っています。
建物の中には映画で使用した車(ファミリア)や
写真パネルなどが展示されています。
また、壁や天井一面に黄色い紙が画鋲で止められていて、
訪れた人が思い思いのことを書き記しています。
しばし映画の感傷に浸りながらそこを後にしました。

鉄道マニアの長男の希望により、
夕張線の廃止になった鉱山までの貨物線の後をたどって行くと、
山の中から突然巨大な観覧車やジェットコースターが現れました。

廃坑になった夕張炭坑の後に、炭坑の博物館と遊園地ができていたのです。
せっかくだからよって行こうと言うことになり、
車を駐車場に止めました長男に言わせるとその駐車場が
昔の貨物線のターミナルの後だと言うことでした。

遊園地なんて行く気はしなかったのですが、
炭坑の博物館は見たかったので、そちらの方だけ行きました。

煉瓦造りの古い鉱口の後とか、
石炭層ががむき出しになった断層の跡とかが当時の鉱山をしのばせます。

館内は当時の炭坑での仕事で使用した道具や資料が展示されていて、
炭坑での過酷な労働が思い起こされます。

見学コースの最後は実際に残っている坑道の中をめぐる炭坑探検です。
エレベータで地下に降り、
ヘルメットとヘッドライトを付けて真っ暗な坑道に入って行きます。

小2の長女と3才の次男は怖がっていましたが、
結構冒険気分が味わえる楽しい施設でした。

階段を上って地上に出てみると、
博物館の建物とはかなり離れた場所に出てきて、
坑道がかなり長かったことがわかりました。
軽食コーナーで軽い食事をとり夕張を後にしました。

今度は妻の希望でせっかくここまで来たら
富良野に行ってみたいと言うことになり、富良野に向かいました。
計画も何も無い行き当たりばったりの旅です。

JR富良野駅に着いたのが午後4時頃。
そろそろ夕食の食糧調達と、泊まる所を確保しなければなりません。

富良野市街のスーパーで買い出しです。
ラルズマートという地元のスーパーに入って
カップ麺とかレトルトカレーとかスパゲティパンに牛乳、
ジュースなど大量に買い込みました。

1リットルの牛乳が2本で¥200とか、
タラバガニ(少し小ぶり)の冷凍が一杯¥1580で安売りしていたりで、
さすが北海道のスーパーだなと感心しました。

食糧も買い込み、事前にインターネットで調べておいた
中富良野の森林公園キャンプ場へ向かいました。

午後5時半頃にキャンプ場に着きましたが
すでにたくさんの人たちがテントを張っていました。

受付しようと案内所を探していると管理人らしき人が現れて、
聞いてみるとなんと町営の施設のため使用料はタダ!
ノートに住所と氏名を書き込むだけで良いとのこと。
さすが北海道のキャンプ場は太っ腹です。

タダのキャンプ場といっても施設は立派なもので、
トイレは水洗だし、ペーパーも十分にあるし、炊事場も立派なものがあるし、
近くにはフィールドアスレチックや、公園があって、テニスコートもあります。

少し歩けば展望台があってそこから十勝連峰や、富良野市街が一望できます。
テニスコートの利用案内を見てまたびっくり。管理棟に届ければ使用料は無料!
おまけにラケットやボールまで無料で貸し出してくれると言うではありませんか!
こんなキャンプ場初めてです。感動しました。

気に入ってしまったので、2泊することにして、
明日は富良野近辺を回ることにしてレトルトカレーの夕食を済ませて
北海道の第一夜を迎えました。

今回はここまで。次回は富良野観光と美瑛町です。

                     つづく
北海道 | 投稿者 管理人h 06:28 | コメント(0)| トラックバック(0)

1999年にリフレッシュ休暇を取って行ってきた北海道旅行①

今日から新しい企画をアップします。
8年前に勤続20年を迎え夏休みにリフレッシュ休暇を取りました。
その時のことを少し書きたいと思います。

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1999年8月11日の午後11時30分。
新日本海フェリーの「ニューあかしあ」は愛車と家族
5人を乗せて舞鶴港を出港し、一路小樽へと向かいました。

夜遅くの出発でしたが、客室は満席で、倹約旅行のため2等の相部屋
(一人1m幅に並んで寝る)に家族5人旅行初日の夜を過ごしました。

翌日8月12日は終日船の上。小樽到着は13日の午前4時の予定。
28時間30分の船旅です。早速船内を探検です。

ロビーは広々としていて、フロントはホテルの受付の様だし、
正面に2列に広がる階段があって、
船に乗っているとは思えないほどの立派な設備です。

総トン数約20tの大型船のためゆれもほとんどなく、
フロントの横には売店があってなんでもそろっています。

その隣には自販機コーナーがあって、ジュースや缶ビール、
アイスクリームが買えます。値段もジュース¥120、
缶ビール¥280(350ml)と良心的。

また反対側には大型テレビが設置されていて、
ソファーに座ってゆっくりとBS放送が楽しめます。

またビデオコーナーではお好みのビデオを貸し出していて、
専用のスペースで楽しむことができます。

階段を上がって4甲板には豪華なレストランがあり、
ビュフェスタイルで好きなものを選んで食べられます。
値段も思ったほど高くなく家族5人で¥3000から
¥4000ぐらいで食事ができます。

レストランの外にはプロムナードコーナーがあって、
海に向かって大きな窓に面してテーブルとソファーが設置されていて
持参した軽食類を広げて食べている人がいます。

船の後ろに行くと、スポーツラウンジがあって、
アスレチック機具が設置され誰でも自由に使用できます。
卓球台も2台あって、1時間¥200円で楽しめます。

いちばん感動したのは、最後尾にあるプールです。
6m四方ぐらいの小さなプールですがこれも自由に入れて、
ちょっとした豪華客船の気分が味わえます。

プールサイドのベッドチェアに寝そべれば、映画スターの休暇の気分です。
プールサイドのデッキではビアガーデンがあって、
海を見ながらの生ビールは最高です。

お風呂もかなりの大浴場で、
こんなに贅沢にお湯を使っても大丈夫なのかと心配するくらいでした。

2日目の夜になると、レストランの上のラウンジでは、
クイズ大会(賞品付き)や映画上映などがあって、
退屈する暇の無いくらいの船旅で大満足。

こんなにゆったりした気分になったのは始めてです。
なんか病み付きになりそうです。

今回はここまで。次回はいよいよ北海道上陸です。 つづく
北海道 | 投稿者 管理人h 06:49 | コメント(0)| トラックバック(0)