2007年08月18日
おばあちゃん
私はもう51なのでおばあちゃんは父方も母方もすでに亡くなっています。
母方のおばあちゃんが亡くなったのは私の長男が生まれてまもなくのとき。
92歳ぐらいだったと思います。母方のおじいちゃんは私が生まれる前に亡くなっていました。
父と母が結婚してしばらくの間、
いや、かなり長い間私たち家族は母の実家に居候してました。
父は今で言うサザエさんの旦那のマスオさん状態。
母方のおばあちゃんは外孫の私をよくかわいがってくれました。
おばあちゃんにはその家の本家である長男(私にとっては伯父さんですが)
の子供が3人いたのですが(いわゆる内孫)その子達にねたまれるほど
本当によくかわいがってくれました。よほど可愛かったのでしょうね^^;
手作りのお人形を作ってくれたり、いろいろなお話をしてくれました。
もともとおばあちゃんの実家は名古屋の覚王山の近くで、
結構いいとこの家のお嬢様だったらしい。
それがこんな名古屋市外の田舎にお嫁に来ていろいろ苦労したらしい。
今では聞くこともなくなった上品な名古屋弁が印象的でした。
・・・・・・なも、ときれいな名古屋弁をしゃべっていました。
父方のおばあちゃんは私の長男がかなり大きくなるまで生きていました。
父は次男ですが長男を幼くして亡くしているので、実質長男です。
その父の息子である私は直系の長男としてずいぶん期待され、
可愛がられました。学校に入学したときには必ずお祝いをくれ
それもかなりの額です。ちょくちょく顔を出せば必ずお小遣いをくれました。
そのお小遣いが長男の私と次男の弟で差があったので、
弟にはずいぶん妬まれたものです^^;
私の長男、おばあちゃんにとってはひ孫ですが、その誕生のときも
ものすごく喜んでくれて、かなり立派な五月人形を買ってくれました。
数え上げればキリがありませんが、母方父方のおばあちゃんの
深い愛情を受けながら育ったということですね。
今では天国にいるのですが、私たちのことを見守ってくれているんですね。
お盆だけじゃなくて、日ごろいつも感謝しながら毎日生活しています。
どちらのおばあちゃんも90過ぎまで元気でカクシャクとしていました。
どちらもしっかりものでしたね。やっぱ女性はいくつになっても強い!
写真は母方のおばあちゃんの在りし日のスナップです。(中央)
母方のおばあちゃんが亡くなったのは私の長男が生まれてまもなくのとき。
92歳ぐらいだったと思います。母方のおじいちゃんは私が生まれる前に亡くなっていました。
父と母が結婚してしばらくの間、
いや、かなり長い間私たち家族は母の実家に居候してました。
父は今で言うサザエさんの旦那のマスオさん状態。
母方のおばあちゃんは外孫の私をよくかわいがってくれました。
おばあちゃんにはその家の本家である長男(私にとっては伯父さんですが)
の子供が3人いたのですが(いわゆる内孫)その子達にねたまれるほど
本当によくかわいがってくれました。よほど可愛かったのでしょうね^^;
手作りのお人形を作ってくれたり、いろいろなお話をしてくれました。
もともとおばあちゃんの実家は名古屋の覚王山の近くで、
結構いいとこの家のお嬢様だったらしい。
それがこんな名古屋市外の田舎にお嫁に来ていろいろ苦労したらしい。
今では聞くこともなくなった上品な名古屋弁が印象的でした。
・・・・・・なも、ときれいな名古屋弁をしゃべっていました。
父方のおばあちゃんは私の長男がかなり大きくなるまで生きていました。
父は次男ですが長男を幼くして亡くしているので、実質長男です。
その父の息子である私は直系の長男としてずいぶん期待され、
可愛がられました。学校に入学したときには必ずお祝いをくれ
それもかなりの額です。ちょくちょく顔を出せば必ずお小遣いをくれました。
そのお小遣いが長男の私と次男の弟で差があったので、
弟にはずいぶん妬まれたものです^^;
私の長男、おばあちゃんにとってはひ孫ですが、その誕生のときも
ものすごく喜んでくれて、かなり立派な五月人形を買ってくれました。
数え上げればキリがありませんが、母方父方のおばあちゃんの
深い愛情を受けながら育ったということですね。
今では天国にいるのですが、私たちのことを見守ってくれているんですね。
お盆だけじゃなくて、日ごろいつも感謝しながら毎日生活しています。
どちらのおばあちゃんも90過ぎまで元気でカクシャクとしていました。
どちらもしっかりものでしたね。やっぱ女性はいくつになっても強い!
写真は母方のおばあちゃんの在りし日のスナップです。(中央)
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